端午の節句や五月人形、ちまきなどにも理由がある
お勧めですよ
端午の節句の起原は、古代中国になります。
古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行ってきました。
端午の「端」は、もじのとおり「はじ/最初」の意味があります。
つまり端午とは「午」は「うま」五月の最初の午の日に行われるって意味になります。
日本では、奈良・平安時代に、五つの節句(人日、端午、上巳、七夕、重陽)が取りいれ、
その中で一つである、端午(たんご)の節句のみが、子供の日となったのです。
中国は、戦国時代、紀元前278年、楚(そ)の国の高名な詩人である
屈原(くつげん)は、国王の側近として遣えており、
人々からも慕われていたのですが、
陰謀のため国を追い出され、川に身を投げ出したのが、
その日が5月5日なのです。
屈原の死を悲しんだ人々は、多くのちまきを川に投げ入れて弔いました。
これが粽のスタートと言い伝えられています。
中国では5/5の節句には、節物として粽を作って、
知人や親戚に配るという習慣が生まれました、
鯉のぼりは、中国の登竜門である故事に由来があります。
中国の霊山に「竜門」という滝があって、登り切った鯉には霊力が宿っており、
龍になると言い伝えられいました。
龍(ドラゴン)は、皇帝の象徴になりますから、
鯉は出世魚と考えて、
子供の立身出世の象徴とししていた江戸時代から、鯉のぼりを、立てられるようなったみたいです。
。
また子供ができた家では、
人生で困難がめぐってきても、鯉のみたいに、逞しく立ち向かい、
そして、最後は、成功することを願って鯉のぼりが生まれたのです。
端午の節句は、災厄や悪鬼を祓うのが目的であり、
武家屋敷の門や塀に柵を作製して、幟(のぼり)や、なぎなた、兜、槍などを並べてる外飾りでしたが、
そして、鎧兜をつけた武者人形を飾るようになりました、
庶民は、はじめは、厚紙等で、兜や武者の人形を作製して、飾っていました。
これが五月人形がスタートになります。
元禄時代になると、室内に飾る為に、ミニチュアサイズの幟ができて、
同時に疫病や武者人形から人々を守る為に、鍾馗様がかなり作られ飾られました
そして、室内の内飾りがメインになりました。

